試乗会の場所が変わりました。
栂池高原ゴンドラ中間駅ではなく、ゴンドラ山頂駅のちょっと下にある
”カフェテリア栂の森” の前です。
時間は二日間とも9時30分〜14時30分
です。
お間違え無く。
gk
2011/03/29
4/2,3 Replant, Outflow, Green Lab 合同試乗会のご案内
案内遅くなって申し訳ありません。
長野県小谷村の白馬栂池高原スキー場にて Replant, Outflow, Green Lab の合同試乗会を開催します。
震災、原発、燃料の問題など、様々なハードルはあると思いますが、来れる方は是非一緒に Snowboarding しましょう。
ブログに描いている通り、自分も支援活動などやらさせて頂いています。そんな中、2日前震災後初の snowboarding をしました。運良くコンディションがよかったこともありましたが、改めて山の魅力 snowboarding の持つポジティブな影響力を感じました。もし、何か感じる物がありましたら、是非足を運んで下さい。お待ちしております。
Replant
小松吾郎
PLACE::長野県白馬栂池高原 スキー場、ゴンドラ途中駅・ケンタッキー前
白馬栂池高原スキー場 HP>> http://www.tsugaike-kogen.com/
Brand::OUTFLOWsnowboards, replant, Green lab
仙台&東松島
山形から帰った後、今何をするべきか考えながら、数日普段通り過ごしていました。そこへ仙台市の友人から連絡が入り、多くの避難所で物資がまだ殆ど届かず、被災地はかなり過酷な状況で、(こちらから)何か出来ないだろうか?と言う電話でした。「すぐ動こう。」ちょうどその前日、何人かの方から物資提供の話を頂いていたから、すぐ連絡して物資を集めてもらいました。人から人に繋がって、一日でハイエース満載の物資が集まり、次の日(22日)の昼に出発する事が出来ました。今回は警察署で緊急車両として登録出来て、高速道路料金が無料になったり、一般は入れない道に入れたりしたので、金銭的にも時間的にもかなり楽になりました。燃料の確保も優先的にやってくれるという事でしたが、そこには甘えない様に40Lの軽油を積み、各地で少量給油をしながら北上しました。事前に山形から仙台には行けると聞いていたので、今回も日本海側から山形を通るルートで行く事にしました。大町市から山形市は7時間近くかかります。夜被災地(仙台)についても動けないと考え、山形の西田タカシの家に一晩お世話になりました。タカシは前回僕らがいった後も、沢山の支援グループのガイド的な役割を果たして、何度も被災地に足を運んで頑張っていました。
6時に起きて荷物を積みなおして、7時過ぎに出発、緊急車両の特権をいかして閉鎖中の高速で仙台へ向かいました。連絡をくれた仙台の友人ナルミさんに連絡を取ると、同じタイミングで東京からDRM1KのMITくんが向かってると言うことで、一緒に動く事になりました。
仙台に着くと、(こう言うと失礼かも知れませんが)街は一見普通に見えました。車が行きかい、沢山の人が街を歩き、信号や商店の感じから、電気が来てるのが分かりました。でもよく見ると、色んな場所で壁が剥がれ落ちていたり、ありえない方向にひん曲がった電柱や建物がちらほらと見えてきて、いきなり一個だけ付いてない信号機で危なく突っ込みそうになって、スピードを緩めました。
ナルミさんの会社は仙台の卸町と言う所にあって、海も近く、大被害があった場所から信号6個しか離れていません。高低差は殆どないのにそのエリアが助かったのは、高速道路の土手が防波堤の役割を果たしたからでした。僕と同乗の西山 勇 、ほぼ同じタイミングで到着したMITくん と伊藤くんで、再会したナルミさんの無事を喜びました。話を聞くと仙台市はようやく物資が届き始め、ご飯も2日前から3食食べれる様になったということで(それまでは家族4人で一日おにぎり1個だったとか)、物資はナルミさんの知人が避難している東松島市の避難所に届けることになりました。東松島市は仙台市からから4、50分程北東にあります。仙台市や隣の石巻市同様に被害は大きく、高速道路を降りて直ぐに今回の震災の壮絶さを目の当たりにしました。川にはガレキや流された家、車などが散乱し、海岸から2kmほど内陸にある45号線も、やっと車線二台分だけ片付けられた様子で、周りには瓦礫や砂、泥などの堆積物が大量に溜まっていて、その横の田んぼや畑があったであろう場所は、未だに水が引かないまま池のようになっていました。ところどころに家の一部分が浮いていたり、車が刺さっていたり、想像を絶する景色が何キロも何キロも続きました。いたるところで自衛隊員が道路や建物から瓦礫を取り除く作業を続け、地元の方が残された家から泥を出したり、片付けを始めていました。
物資を配達した場所は、矢本町と言う町の高校で、そこには約300人が避難しているとの事でした。通常、避難所とされている場所は全て一杯になってしまって、否認可で急遽使われている場所でした。その避難所は、近くの水産加工場の止まった冷蔵庫から食料の提供があったらしく、(その時点では)食料より防寒着、毛布、マット類などが欲しいと言う事で、それらの物資を中心に荷物を降ろしました。東京クルーの支援物資は食料中心だったので、そこからほど近い別の避難所に届ける事になりました。その場所が何の施設かは覚えていませんが、町役場の様なその避難所には60人程が避難していました。ぎりぎり食べる分は届いているようでしたが、食材の配達は大変喜ばれました。
避難所のなかは、1人畳一畳分ほどのスペースにダンボールと毛布を敷いてもう一枚の毛布をかけて寝ている様でした。自分のスペースに幾らか持ち物をおいている人も居ましたが、何もおいていない人も沢山いました。ダンボールがむき出しになっている通路には、子供達が絵を書いていました。「退屈だからね。」とオバちゃんが笑いました。避難している子供のなかには今年学校を卒業する子もいたから、みんなでお菓子などを持ち寄って卒業式をやってあげたと教えてくれました。
どちらの避難所でも感じた事ですが、沢山の人が力と知恵を合わせて、協力して、前向きに、震災に立ち向かっています。最悪の状況に負けずに復興を目指しています。原発の問題もあり、これからどうなっていくかは今の時点では分かりませんが、伸ばせば手が届く所にいる自分たちも、可能な限り手を差し伸べるべきだと感じます。現場は、地元の人たちだけではもちろん、システム(国)の力でも救いきれる状況ではありません。人が人を助ける為に動かなければ、システムの想定を超えたこの震災の犠牲者は増えていくばかりです。
配達を終えて、帰る前に仙台の1番被害が大きかった場所を見て来ました。本当に本当に見るだけでも辛い、ひどい光景が広がっていました。「ガレキをどけるだけで何年かかるんだろう…?」ところどころで作業の車が地道に一つずつガレキをどけていました。
被災したのは東北だけじゃなくて日本です。最適な支援の形はどういう形かは分かりませんが、私たちは何か出来る事をしなければいけません。自分達の経済活動、普段通りの自分たちの生活もモチロン大切です。だけど、それだけではいけないと思います。普段通りやろうとしても、普段通りの東北、普段通りの日本はないんです。行政にも限界があります。民間が、私たち「人」が、考え、動いて日本を救わなければいけない。そう強く思います。
今回支援に協力してくれたみなさん。(白馬/らっぴーさん、板屋クラフトさん、エバーグリーンさん、illy'sさん、ポンちゃん。大町/ずくなしプレスさん、風の森幼稚園さん他)ありがとうございます。自分達が運べる物はわずかですが、被災者の方は本当に喜んでくれました。山形のタカシ、仙台のナルミさん、シンペイさん、勇、MIT、伊藤くん、ありがとう。ぼくが被災地にいく事を許してくれている家族にもありがとう。放射能ははっきり言ってメチャクチャ怖いしイヤだけど、みんなで出来る事をやり続けよう。未来をつくりましょう。そしていい加減、今度こそ、原子力から抜け出そう。
gk
避難所 仙台市先に見える橋が高速道路高速道路をこえた所 流れがたまった場所に車や瓦礫もたまる、海まではまだ1km以上ある こんな光景が何キロも続く海まで200mぐらいの場所
2011/03/19
支援物資配送レポート(山形市)
3月17日、山形市に長野県各地で仲間と集めた物資をもっていって来ました。自分は中越沖地震の時に柏崎市の奥さんの実家にたまたま居合わせ「被災」に対する少しの経験があったので「きっと何か力になれる事がある」と考え、仲間と話し合って辿り着いた行動でした。今回の災害は冬の東北という事もあり、生き延びた方々の多くは未だに余震や寒さ、食糧難など、過酷な状況の中に居ます。
自分や周りの仲間は寒い場所での行動、過ごし方に多少の知恵と経験があり、Snowboarding を通して幾らかの影響力とネットワークを持っています。それを活かして、いま出来る事として、まず被災者の方が使えそうで僕らが使っていないウェアなどの防寒着や、マットなどキャンプ・グッズ類を集めました。
その集めた物資をどの様にして何処にもって行くかが大切なポイントですが、被災地からの少ない情報とそのエリアに居る仲間(比較的軽いとは言え、彼らも被災者です。協力本当にありがとう。)からの情報を頼りに、必要な場所を探し出し、配達の場所・方法を決めました。
もちろん「個人からの物資は受け取らない。」「衣類などは逆に困る。」など、ニュースや政府からのメッセージは知っていたし、この行動について賛否は分かれることも分かっていました。被災地で「迷惑な人」になること程最悪な事はありません。僕自身、今回の動きを「間違っていた。」とは思いませんが、これを「みんながやった方が良い」とも思っていません。同地への宅急便の受付が今日から始まったり、状況は刻一刻と変わるし、反対に被災地から自分のすむ街に被災者が避難して来る可能性も高まっています。だから、同じ様な動きをしている方、しようとしている方には、状況をよく見て、冷静に、臨機応変に行動する事(又は、しない事)を勧めます。
さて長くなりましたが、実際に山形市に物資を届けた僕たちの今回の報告を書きます。
積み込み仕分け作業が済んで、247(仁科正史)と大町市を出発したのは午前11時過ぎでした。「道はなるべく日本海側が良い」と言うことだったので、まず日本海・糸魚川へ向かい、そこから高速で胎内市まで北上。そこから下道で小国町、南陽市を通るルートで山形市に向かうことになりました。
山形市には長年の友人西田崇が居たので、変わっていく状況を聞きながら進みました。出発前にもっていた情報では、日本海側から山形市に入れるとのこと、比較的被害が少なかった山形市の市役所が被災地向けの物資を集めているという事でした。その段階では山形市への荷物の発送は無理だったので、その先(仙台市などでの受入)の情報が入らなければ、まずそこまででももって行く事にしました。もし情報が入れば(自分達の安全第一ですが)最長で仙台市まで(前日に山形市から車で行った友達の話も聞いていたので)行こうと思っていました。
"902"(snowboard shop)のマッキー・"Swell"(Band)のケイタ・Ever Green(ガイドカンパニー) のデイビッドから託された義援金を使って、オムツやマスク、生理用品などを買って、糸魚川から高速に乗りました。そして新潟市手前辺りで山形のタカシから「福島・宮城から1000人近い人が市内に避難して来る。」「ウェアなど防寒着必要。」という情報が入ったので、そこを今回の搬送先に決めました。
燃料は多くの場所で20Lまでと言う事だったので、非常用に20Lを積んだうえ、何カ所かでこまめに給油して、最後に胎内市で満タンに出来る所を見つけて113号で東へ向かいました。
19時過ぎに山形に到着し、タカシと合流して直ぐに現場のスポーツセンターに向かいました。受付で物資の置き場を聞いて車(Hi-ace)から満載の荷物を降ろすと、タカシもスポーツセンターの人もビックリの量でした。入口から一階降りたその置き場に、タカシ・247・GKの三人で運んで約30分程かかりました。その途中、炊き出しのウドンを食べながら近づいて来たオバちゃんに声をかけられたので、なにげなく「何処から来たの?」と聞くと「南相馬から」と言う答えでした。僕は「長野県から物資を持って来たんだよ。」とか言えたらもしかしたらオバちゃんは喜んでくれたかも知れないけど、南相馬と聞いて完全に言葉を無くし、「家は…」とか、「家族は…」とか聞こうか迷った挙句「オバちゃん、無事でよかった。ね。」としか言えませんでした。オバちゃんは「ウドンが美味しい。」と言って笑いかけてくれました。荷物を運び終わって、体育館の中の様子をちょっとだけ見て、受付ヨコに貼ってあった避難者リストを見ると、今回最も被害が大きかった場所の一つ、南相馬市と相馬市からの避難者の方たちだと分かりました。たしかにそこに居たほとんどの方は、身につけているもの以外何も持っていない様子でした。「(使える物なら)どんな物でも助かります。」と言っていた職員さんの言葉がリアルに響きました。
仕事を終えて、タカシと別れて帰ろうとした時、入口近くにいた40代位の女性が話しかけてきました。
「ボランティアの方ですか?」
「いえ、物資を届けに来ました。」
彼女は深々と頭を下げ「ご苦労様です。ありがとうございます。」と言ってくれました。
「がんばって下さい。負けないで。」
そういって僕らはニッコリ笑って頭を下げ、その場を後にしました。
その避難所にはガス/電気/水道もあったし、夜は暖房もつくとの事でしたが、広いとはいえ仕切りもない体育館に600人(その後1000人に増える予定)、健康を保つのは簡単な事じゃないと思います。今日本には数十万人の人が同じような状況だったり、もっと過酷な状況の中過ごしています。これからもっと沢山の力が必要になります。支援のカタチは様々ですが、みんなの知恵、力、心を合わせてこの危機を乗り越えなければと思います。
電気とのつきあい方、自然(地球)とのつきあい方、人同士の繋がり、様々な大切な大切なことを考える機会だと思います。
僕らは今この世界を生きる人として、必要な物、要らないもの、やりたい事、やりたくない事、やるべき事を見極めて未来を(現在を)つくりましょう。
今回僕らは、必要な物を必要な人に届けられたと思います。しかし、自分や仲間たちの行動に対し否定的な意見もあるかとも思います。テレビでやるなと言っている事だったりするのでそれはある意味当然です。政府や、メディアを批判する気はありません。右も左も分からないコントロールの利かない人が、被災地に入ったら邪魔だと言うのも分かります。ただ、「被災」を経験した人間として、そこに物資が本当に要らないのか?人手が本当に全く必要ないのか?何となくですが、自分なりのビジョンをもっての行動です。だから、これを見て、「オレも。」的なノリでやろうと言う人はしっかり考えて行動して下さい。
突き動かされ、止める事の出来ない思いを持っている人を自分は止めようと思いません。
賛成の人も、反対の人も、しっかり自分の胸に聞いて未来に向かって行動して下さい。
後悔のない様に。
最後になりますが、急な呼びかけに協力してくれたみなさん、本当にありがとうございました。
みんなのウェア/支援物資、そして僕たちに託してくれた思いは、沢山の人の手を通って無事被災者の方々に渡す事が出来ました。
集めて運んでくれたシン、タナ、ヒデバ、ナベさん、二郎ちゃん、ありがとう。
義援金をくれたケイタ、マッキー、ありがとう。
沢山の物資と義援金を提供してくれて、会社の車まで貸してくれたデイビッド。本当にありがとう。
一緒に行った247、現地で動いてくれたタカシ。ありがとう。
被災した人も、原発と闘う人も、ボランティアに行く人も、募金した人も、いつも通りがんばっている人も、避難した人も、まだ何もしていない人も、みんな応援してます。
本当の復興はまだまだこれから、自分に出来ることをやっていこうと思います。
がんばりましょう!
小松吾郎
2011/03/15
Home.
前回の投稿時は最高潮な感じでしたが、今は、今までに無く、最悪です。何を書いたら良いのか分からない。中越沖地震くらった時だいぶやられましたが、今回のはダブル、いやトリプルにヤバイです。
13日にキャンセル待ちで飛行機(千歳ー松本)に乗れて、家に帰れたのはラッキーでした。が、「助かった助かった。」と普段通りに過ごす事はもはや不可能です。危機です。
乗り越えてより良い世界を築いてゆくのは、生き残っている私たちのこれからですが、こんなカタチで世界が変わっていくって、残念です。悲しい…、悔しいとも言える。
だいたい、世の中にもともとなかったあんな危険を持つ原発を、「絶対必要」と言い切る世界観は進んでると言えるのか?
犠牲になった方々のご冥福を祈ります。
被災者の方々、身内の方々、負けないでください。
可能な限りのラブとピースを送ります。
まとまりなくてすいません。
無事な私たちは出来ることを1つずつ、がんばりましょう。
(P.S. テリエは無事ノルウェイに帰れたようです。)
13日にキャンセル待ちで飛行機(千歳ー松本)に乗れて、家に帰れたのはラッキーでした。が、「助かった助かった。」と普段通りに過ごす事はもはや不可能です。危機です。
乗り越えてより良い世界を築いてゆくのは、生き残っている私たちのこれからですが、こんなカタチで世界が変わっていくって、残念です。悲しい…、悔しいとも言える。
だいたい、世の中にもともとなかったあんな危険を持つ原発を、「絶対必要」と言い切る世界観は進んでると言えるのか?
犠牲になった方々のご冥福を祈ります。
被災者の方々、身内の方々、負けないでください。
可能な限りのラブとピースを送ります。
まとまりなくてすいません。
無事な私たちは出来ることを1つずつ、がんばりましょう。
(P.S. テリエは無事ノルウェイに帰れたようです。)
2011/03/10
Hokkaido
北海道に来ています。当たっています。パウダーセッション&面白セッション&試乗会として復活したルスツでのイベントMixed Nuts session から、岩見沢での北海道ローカル若手によるLIVE&Riding イベント"WAYA"に軽く参加。 そこからまさかのノーバインディングセッションwith アツシ(五明)&テリエ。次の日は一日キロロパウダーを滑って、昨日今日は2日間テリエ&ニセコローカルとのモイワフリーライディングセッションでした。ヤバ過ぎます。何故か今回そんな感じです。写真を撮るスキがなかなかありません。お見せできなくて残念ですが、テリエはクールでアツイッス。
2011/03/03
Hand 2 Party.
ヨコノリピープルが愛と自由を表現。
沢山の人達に支えられて出来た Free Magazine "Hand"
2号目のリリースパーティーはかなり盛り上がりました。
Replant crew, Outflow crew, Green Lab crew など local stylers & local friends はもちろん、
わざわざ遠くから足を運んでくれた人達も、みんなありがとうございました。
今回も喜んでくれて、そして楽しみにしてくれてて、本当、うれしかったです。
撮影で来てた Capita Crew (TJ Schneider, Yuta Kiyohara 他)
Deeper crew(Jeremy Jones, Forrest Shearer, Josh Dirksen 他)も遊びに来てくれて、
かなり濃い、楽しいヨコノリパーティーでした。
来れなかった人もどこかで Hand (手渡し)させて下さい。ヤーマン。
Hand 2 Release party @ Sauce Hakuba
entrance
main room & bar
Replant boards
lounge
lounge from 2nd floor /feat. DJ Yagi
theatre room (2nd floor)
thanks.
ちなみに"Hand 2" の表紙…
裏表紙…
見つけて下さい。声かけて下さい。
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